部屋を掃除したら漫画が沢山出てきたので書く日記

漫画とか合唱とかUNIXとかLinuxとかについて書く日記です。

転職しました(その3)

転職活動についての記録、その2の続きです。実際に転職に繋がった活動なのでちょっと長くなります。

bata64.hatenablog.jp

3回目の転職活動(2019/9 ~ 2020/2)のきっかけ

第二回目の転職活動のきっかけとなった超特大の炎上プロジェクト(略称:超ひどPJ)からは解放されたのですが、超ひどPJに参画している間に、ずっと担当していたお仕事は超ひどPJに専念するために強制的に離脱させられ、既に完了していたり、別の担当者に引き継がれたりしていました*1。そして、当時の所属部署では新しく自分が主担当でやるべき当座の仕事が無く、他の部署の支援をする仕事を主にする事になりました。これはこれで必要な仕事なのでしょうけれども、「必ずしも自分はいなくても困らないんだな」と思える状態になりました。

そんな中、あるプロジェクトに参画する事になりました。詳細は書けませんが、以下のような事を行いました。

  1. CentOS7をIAサーバにインストールする
  2. インストールしたCentOS7サーバでFC-SANストレージ領域をマウント、ディスクへのI/O負荷を加えながらサーバの挙動を確認する
  3. WindowsLinuxSolarisにおけるSCSIバイス周りの挙動を調査し、OS種別や使用ファイルシステム毎の必要手続きを策定、実施する

超ひどPJでは十分な情報、権限および期間を与えられずに社内や社外の難しい調整を行うという大変厳しい役割を担うチームに所属しており、端的に表現すると「大変な割にとっても面白くない仕事」をしていました。そういう経験の後、久々に「馴染みの面白い仕事」をする事ができた時に感じた楽しさによって生き返った気持ちになりました。こういう仕事がやっぱり自分は好きだしこれからもやっていきたい、と自分の進むべき方向性を確かめる事が出来ました。

それから、上記のような作業を担当した結果分かった様々な課題について検討して対策を考え、自チームや他チームおよび社外メンバー間で協議、調整をしながら解決していくプロセスを踏む事が出来、その結果がプロジェクトの成功に繋がりました(課題を解決できなかったら色々とマズい事になったと思われます・・・)。自分のやった事や好きで学んだ知見が他の人の役に立っているんだと思えたのです。

という事でひどいプロジェクトのおかげで自分のやりたい事を再確認し、それが感謝される体験が出来てとても嬉しかったのですが、所属部署ではこのPJの成果は特に評価される事はなく、自分の志向する事と求められている事が違う事をしみじみ感じました。

そんなある日、スマートフォンからなんとなく広告でとかで名前を知っていた「ビズリーチ」にユーザ登録をしている自分がいたのでした。こうして第三回目の転職活動が始まりました。

続きます

*1:急に引き継ぎさせられた人も大変だった事でしょう・・・